紅茶を飲もう(3)

茶葉はある。
香りも申し分ない。しかも、届いたのは意外と早かった。

しかし、問題は、その次だった。

先日発注したティーディフューザー(茶こし?)が、なかなか届かない。
そろそろ3週間も経過するので
Amazonのステータスを確認したら

「お荷物の状況を確認できません」

なんだこりゃ。
これは、もはやその商品が、この世に本当に存在しているのかどうかさえ、あやしくなってくる。

「紅茶への道」に立ちはだかった、大きな壁。

しばらくして、ふと思う。
たとえディフューザーが届いたとして、本当にそれで準備は整うのだろうか?

……いや、ティーカップがない。

気づいてしまった。
家の中を探せば、何かしらはあるのだろうけれど
私が自室で管理しているものとしては、
ふにゃけた紙コップしかなかった・・・

じゃあ、今度はカップを買えばいいのか。
それで私の「紅茶の儀式」は完成するのか。

でも、そこでまた、ひとつ思いあたる。

そもそも私は、なぜ――
紅茶を「ひとりで」飲もうとしているのだろう?

誰とも言葉を交わさず、ひとりで茶葉を蒸らし、
ひとりで注ぎ、ひとりで香りを楽しみ、
そして、ひとりで飲む。

そこには、静けさがある。
でも、その静けさの奥には、どこか空虚さがあるようにも思える。

もしかすると、

紅茶というのは――「誰かと飲む」ことで、初めてほんとうの味になるのかもしれない。

そう思うと、私は、
「一緒に紅茶を飲みたい」と願う、たったひとりの人のことを、自然と考えていた。

彼の部屋は、どんな空間なのだろうか。
窓の外には、どんな風景が広がっているのか。
本棚には、どんな本が並んでいて、
そのどれを、彼は最後に読んだのだろう。

私はその部屋のことを、何ひとつ知らない。
けれど、ひとつだけ、知っていることがある。
随分以前に、彼がそこにあるものについて語ってくれたことがあるから。

覚えていますか?・・(といわれてもね)

……とはいえ、今この瞬間、
私の手の中にあるのは、
事務所の近くの自動販売機で買った、ペットボトルの紅茶。

ちょっと簡単すぎるけれど、
それでも、悪くない。

紅茶を飲もう!

☆近日中に、キャラメルデュオ購入予定です!